店主が〝もやし〟になるまで(その9)

    妻の里帰りも終わり、親子3人で暮らせるようになった自宅マンションの一室。 私の症状は決して改善したわけではありませんでしたが、自分を騙しながら生活できるレベルにはなっていました。もちろん、薬の効いている間だけで、心が揺れだすと「早く次に薬飲める時間が来てくれ!!」と願いながら。   ふたり共に慣れない育児。 生後2か月、3ヶ月… 天使のスマイルができるようになり、首もし...

店主が〝もやし〟になるまで(その8)

2006年…… あともう少し………夏には初めての赤ちゃんが産まれてくる予定です。問題もなく、すくすく育っている赤ちゃん。赤ちゃんは「このお母さんとお父さんの子になりたい」と、自分で選んでこの世に誕生する覚悟を決めると言います。なんで!?  なんでや!?仕事もできない、外出もできない、部屋にいても落ち着かない、そんな出来損ないのお父さん。どうしよう…… ここまで来て選んでもらえなかったら…… なんでこんなタイミ...

店主が〝もやし〟になるまで(その7)

    平凡って難しいですね。平凡って平凡なわけで、つまんない感じもしますが、この世の中で平坦な人生を歩むほど難しいものはないと思っています。大きな刺激もないですが、大きな不自由もないんですから。 歌も文章もそう、〝シンプルで印象に残るもの〟を作るのが、実は一番難しい。知識があればあるほど、いろいろいじくってしまい、結果ごちゃごちゃになり、分かるマニアにしか分かってもらえない、手の込...

店主が〝もやし〟になるまで(その6)

    1年足らずの自由時間を両親に与えてもらった、そんな私のひとつの大舞台の始まり。   バーで月に2回もレギュラー枠をいただいたり、紹介紹介で、イベント等でのステージもたくさん踏ませていただきました。 まともな仕事もしない、しかもこのころの私は髪の色もまともじゃない(笑)。今までロクに遊んでなかったせいか、父親の仕事を手伝って得たバイト代が結構貯まっており、それを頼りに、毎...

店主が〝もやし〟になるまで(その5)

母の隠れた計らいから得たエフエムわぃわぃとのご縁。 その後も局チーフのミニコンサート時にバックでゲストギタリストとして参加させていただいたり、時には専属運転手や荷物持ちをしたり、また、前回と違うオリジナル曲もO.A.していただいたり、何もかもが新鮮な1998年を過ごすことのできた私。   そんな折、これまた父親の知人(正確には両親のお店のお客様)から、行きつけのバーで弾き語りしてみないかとお誘い...

店主が〝もやし〟になるまで(その4)

好きなものであったり、夢中になれるものがあったり、その場所が生き甲斐と感じていたりすると、様々な奇跡が起こるものです。脳が瀕死状態であった父親は、1996年の一年間で見事、完全職場復帰を果たします。父は実のところ“仕事大好き人間“。電気工事をしている自分がとても好きであり、生き甲斐に感じていたようです。私は仕事大好きな父を、時にうざったく感じておりましたが、それでも常にお客様第一に考えるサービス精神の塊...

店主が〝もやし〟になるまで(その3)

万人にウケるミュージシャンになる。 まず引っ掛かるには強烈な個性が必要となります。 『カネ』『コネ』…基本的にこういった業界で、最もデビューへの融通が効くアイテム。 私の場合、そのふたつのワードは持ち合わせていません。   アルバム『ひとりごと』は、いくつか受けたオーディションでも、かなりの個性を評価していただきました。曲調・アレンジ力・雰囲気のあるヴォーカルやギターの音色。しかし残...

店主が〝もやし〟になるまで(その2)

1995年1月17日、阪神淡路大震災。何なんやろ、この酷い仕打ちは……とにかく夢にもがいていた私は、毎日ひとつひとつがヤケクソです。「つらい」「くやしい」「さみしい」 そんなマイナスなワードしか頭に浮かんできません。父親のボランティアめいた電気復旧工事を手伝い、休みなんて殆どなく、たまに何もない日(というか、動くにも動けない日)は部屋にこもり、いつも目の前にはボロボロのノートとインクが出たり出なかったりする...
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