店主が〝もやし〟になるまで(その5)

母の隠れた計らいから得たエフエムわぃわぃとのご縁。

その後も局チーフのミニコンサート時にバックでゲストギタリストとして参加させていただいたり、時には専属運転手や荷物持ちをしたり、また、前回と違うオリジナル曲もO.A.していただいたり、何もかもが新鮮な1998年を過ごすことのできた私。

 

そんな折、これまた父親の知人(正確には両親のお店のお客様)から、行きつけのバーで弾き語りしてみないかとお誘いを受けます。

オーディション会場で、自分で作ったオケをバックにギターを持って歌ったり、バンドのメンバーでギタリストとしてステージに上がった経験はありますが、実はギター一本で、ひとりで弾き語りをした経験はこれまでありませんでした。しかも、夜のバーですよ!!(笑)

父親の仕事に携わってる長い期間、休みが合わずで友人と遊ぶこともできず、ましてや「ギターが恋人」とか言ってたくらいなので、まともに彼女だったできたことがありません。それがいきなり〝バー〟とか…。

行ったことないわけではありませんが、それにしても強烈なソロステージデビューやなぁと思ってしまいました。

 

…ですが、チャンスはチャンス。憧れの人へと続く道へのプラグを一旦抜いた私は、何故かフットワークが軽くなっていました。

 

 

初めてのバー弾き語りは緊張でガタガタでした。でもめげずにバー通いは続きます。若さからか、昼は父の仕事、夜はバー、朝帰りして寝ずに仕事、そしてまたバー……。そんな日が毎日続いても、ちっとも苦になりませんでした(今おんなじことやったら死んでしまいますが(笑))。

 

毎日、仕事中でも「早く夜になってバーに行って歌いたい」…そんなことばかり頭を巡ります。

歌う楽しさ、お酒を呑む楽しさ、それはもちろんのことですが、私が一番楽しみにしていたのは「わぁーー、いらっしゃい!」と、自分を笑顔で迎えてくれる仲間が待っていてくれること。人付き合いが苦手なはずなのに、そこに行けば心がオープンになります。何でも話せます。我が家より我が家って感じ。

実は大学時代に父親の仕事と併行して通ってたビアレストランのアルバイト先でも、同じような軽い心になっていたのを思いだします。「しんちゃん、しんちゃん」と可愛がってもらいました。老若男女問わずにね(^^)

 

 

確実に自分が変われる場所。

 

…私は気付きました。このころの出会いのきっかけは、その殆どが両親絡みです。もちろんそれについては大感謝です。しかし、両親が私のそばにいるとき、私は人と話せていない…ということに気付いたのです。

何故? …それは、会話に線を引かれてしまうから。いえ、私自身が勝手に〝線を引かれている〟と思い込んでしまっていただけかもしれません。

 

変わりたい… 変わりたい… 自分の世界が急激に広がるかもしれない…

 

 

1999年、私は思いのたけを父親に伝えました。

「音楽にどっぷり浸かれる時間がほしいです。親の仕事を手伝いながら、今までのように音楽に触れていくのも、それはそれで楽しいけど、もっと自由な時間をください。それで… やっぱり音楽で何かの結果を出したい。音楽だけをやってみたい。」

 

両親はもちろん大反対です。

このころの私は25才。周りの同級生なんかもスーツ着て、立派に会社勤めしています。早くに結婚をして、新しい家庭を築きあげてる者もいます。息子がしっかり社会人として歩んでくれることを望む…… それは親の気持ちとして当然のことです。

ましてや両親は、そういったアート系の生き方にはまったく無縁の、バリバリ仕事人間タイプ。そもそも息子が絵が好きだったことからサプライズが始まり、芸大に行くなんて考えもしなかったでしょう。しかも作曲家を目指すとか…(笑) 両親にとって、そんなわけの分からない世界に息子を放り出すというのは、明らかに危険極まりない行為です。

 

 

しかし、私の説得は止むことを知りません。とにかく親もとを離れ、外に飛び出したいという息子の気持ち。

 

 

「………反対や。どう考えても、賛成はできん…。でも、ちょっとだけ時間くれるか?」

 

 

考えてくれようとする父親の言葉… 感謝です。

 

 

 

それから一週間程度、変化のない日常が続きました。しかし私の心中はいつも、いつか返ってくるその答えに、恐怖をおぼえていました。いえ、いずれ切り出さざるを得ない両親の方が、もっと落ち着けぬ心でいたことでしょう。

 

 

そんなある夜

帰宅して家族で食事中、父がBGM代わりについていたテレビを消し、重い口を開きました。

 

「こないだのことやけどなぁ。お母さんともずっと話をしてきたんやけど、まぁ、やっぱり賛成はできんな。」

 

「………うん…」

 

「…でも、無理にうちの仕事に閉じ込めて、あんたの一生が台無しになったら親の責任になる。いや、そりゃ店は継いでほしいよ。」

 

「……うん…」

 

「もし、音楽があかんかったらどうするねん?」

 

「……いや、あかんようになるとは思ってない。…音楽業界で働くとか…」

 

「店には戻らんのか?」

 

「だから、継ぎたい気持ち……というか、継がなあかんって気持ちは、親のためって思ったらあるのはあるけど。でも身が入らんし、逆にこんなモチベーションで継いで、僕がせっかく親が作ったお店をつぶしてしまったら、返って親に迷惑かけることになるし。それで、そのあと自分がどうしていけば良いのか考えもできへんし…」

 

 

…しばらく沈黙が続き、やがて父がこう言いました。

 

「……ちょっと、店に人を入れる段取りするわ。とりあえずな。時間制限させてもろてええか?」

 

「…??????」

 

1年間 …いや、この春くらいからやから、67ヶ月か。要するに今年中、あんたに自由に考える時間与えるわ。もちろん、うちおるときは、たまに手伝ってもらうこともあるかもしらんけど、できるだけあんたが手伝わんでもええように、こっちで段取りするわ。その間どういうふうに過ごすのか分からんけど、今年中に答えを聞かせてくれるか? こっちも…まぁな…あんたに頼ってばっかりおる甘えを捨てる良い機会になるかもしらんし。」

 

 

「……ありがとう。」

 

 

こうして1999年、20世紀最後の1年。自分の進路をマイペースで考えても良いという貴重な時間を与えてもらうことになったのです。

いえ、もちろん、こんな短い期間で答えなんて出しようがありません。でも父にとっては非常に長い期間となります。苦渋の決断だったでしょう。

 

私は存分に感謝の心を持ったうえで、まずは大いにはじけることに決めました。

 

 

 

そして… この1年間の自由時間こそが、この後の私の人生を大きく変える第一歩となるのです。

 

 

つづく

第一歩のはじまり

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