店主が〝もやし〟になるまで(その6)

 

 

1年足らずの自由時間を両親に与えてもらった、そんな私のひとつの大舞台の始まり。

 

バーで月に2回もレギュラー枠をいただいたり、紹介紹介で、イベント等でのステージもたくさん踏ませていただきました。

まともな仕事もしない、しかもこのころの私は髪の色もまともじゃない(笑)。今までロクに遊んでなかったせいか、父親の仕事を手伝って得たバイト代が結構貯まっており、それを頼りに、毎日毎日、自由奔放な日々を送ります。遊びたい時期に遊べなかった反動もあったんでしょうね。

 

しかし、何でもそう。楽しい時間は過ぎるのが早い。

 

 

暑い、暑い、夏真っ盛りの頃。

 

バーで知り合ったタップダンスの先生が発表会をするからと、お誘いを受けました。日頃かわいがってくれてる5つくらい年上の先生です。タップダンスの世界なんて当然知りませんし、先生の発表会でなければダンスにまったく興味のない自分が行くわけないし、それでも何かの経験やと思い、バーで知り合った仲間同士で見に行くことになりました。

まったく興味のないものでも、やはり生で見ると臨場感がダイレクトに伝わり、想像以上に心が震えるものです。

 

ブレイクタイムに何気なく周囲を見渡しました。仲良しのカップル客、出演者のお身内らしき人たち、ちっちゃいお子さま連れのパパママ…。

 

その至って何でもない光景…。

 

……んっっ??

 

何っ!???

 

何だろ……?

 

何かがこみあげてきそうになり、慌てて目を閉じました…。

 

普通に人生を歩んでいる人たち。

夢ばかり追ってる自分。

この何でもない普通の人たちから感じる平和で柔らかい空気、笑顔。

 

常に時間に急いている自分の存在が、いったい何者なのか分からなくなってきます。

目を閉じて、タップシューズのコツコツと床を弾く音を聞いていると、何だかワケの分からない空しさがこみあげてきます。

 

何やろ? …自分はいったい何をしてるんやろ?

仲間はたくさんいて、そして幸福にも両親は元気で、何不自由ない人生を歩んでいるはずなのに…

どんどん置いてきぼりにされていくような、とてつもない孤独感…。

 

 

 

…と、突然、BGMが華やかになり、私はハッと我に返ります。

 

再び舞台に目をやります。

そこで楽しそうにステップを刻むひとりの女性。

 

 

…私の中の何かがはじけます。

 

 

 

 

やがて、暑すぎた夏が過ぎ、時は1030日。

もう、タイムリミットは目の前です。

 

この日はバーで自分のライブ。たまには何か変わったことをしようと、夏に肌で感じた(いや、私がやったわけではないが)タップダンスと演奏のコラボができないかと、実はこの日、タップの先生が関わってくれることになっていました。

 

ひときわ盛り上がったと感じたライブ。

客席… 何気なく向けた私の視線の先に、とても見覚えのあるひとりの女性の姿がありました。

 

「……あ、あの人は……」

 

8月のタップダンス発表会、周囲の何でもない平和な笑顔を見て、あやふやな生き方をしている自分の姿に失望。そこで華やかなBGMが流れ、我に返り、その瞬間自分の視界に入ってきた女性。

まさにその人でした。

先生が「私もライブに出るから来て!!」と誘っていたのです。

 

 

恋をしていました…。

 

 

 

 

 

寒くなってきました。

私の貯金も底をつきはじめ、いよいよ答えを両親に伝えねばならないその日が近づいておりました。

この1年はオーディションを通過することもなく、実のところ私の作曲家を目指すという活動(行動)は止まったままでした。

 

11月、12月、私は予定していたライブを『消化』という形で決行しました。

いえ、もう終わる、これで終わる、楽しくて刺激的だった自分の1999年はもう終わってしまう。この場所でもうライブもできないかもしれない。

 

悲しいね… 寂しいね… 悔しいね…

 

泣きました。

とても泣きました。

 

でも、それは… 嬉しい涙でした。

 

 

私の答えは決まっていました。

 

 

 

 

2000年、元旦。

私は父に、こう伝えました。

 

1年間、たくさん時間をくれてありがとう。とても貴重な1年やったよ。心から感謝してます。僕は…音楽を…やめません。これからもやめません。そして、今年から働きます。社会人として生きてゆきます。でも…ごめん。お店の跡継ぎはできません。外の世界で働きたいと思ってます。親もとだと甘えてしまう…。そんな成長しない自分ではイヤやから。もっとたくさんの人と出会って、社会でいじめられて、自分を鍛えたいねん。」

 

 

 

20001月、2月、私は死に物狂いであらゆるバイトをしました。ギターを握る時間もないくらい。

たったひとつの『ある物』を買うために…。

 

 

3月、初めて正社員としての就職先が決まりました。私の髪の色も、もうマトモです。

 

もう、あのホームと思っていたバーのステージには立てないかもしれない。

 

初仕事が始まってしまう前に、もう一度だけあのステージに立ってみたい。

 

「いつでも、あなたのライブを待ってるのよ!」と言ってくださったバーのママのお言葉に甘え、私は最後になるかもしれないステージに立ちます。

 

 

声の張りも良いです! ギターも絶好調です! めずらしく喋りもイケてます! ずっと笑顔が絶やせません!

 

お世話になったバー(灘区六甲ヒアカムズザサン)、お店を守るママ、自分をかわいがってくれたヒアカムファミリー。

 

自分のとなりで小気味よくタンバリンが鳴ります。

たまにコーラスも入ります。

 

そう、この日のステージには、私のとなりにもうひとりメンバーがいました。

 

タップダンスの発表会で失望の淵に立たされ、もうダメだ… となったところで目覚めさせてくれたあの8月の女性です。

私が死に物狂いのバイト三昧で買った『ある物』を指に付けてタンバリンを叩いてくれていました。

 

 

 

 

4月。

 

26才とちょっと出遅れた社会人になった私は、年下ばかりの先輩たちにしごかれながらも、毎日マジメに仕事に励みました。

 

 

2001年の12月。

とある場所。

私のとなりには、ウェディングドレスを着た、あの8月の女性が立っていました。

 

 

1999年の貴重な自由時間。

私が出した答えは「私ができる最善の現実的な親孝行」でした。

 

 

 

つづく

週末ミュージシャンに転向

 

 

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