店主が〝もやし〟になるまで(その7)

 

 

平凡って難しいですね。平凡って平凡なわけで、つまんない感じもしますが、この世の中で平坦な人生を歩むほど難しいものはないと思っています。大きな刺激もないですが、大きな不自由もないんですから。

歌も文章もそう、〝シンプルで印象に残るもの〟を作るのが、実は一番難しい。知識があればあるほど、いろいろいじくってしまい、結果ごちゃごちゃになり、分かるマニアにしか分かってもらえない、手の込んだ駄作になります。

 

(.;)いきなり何の話してるんやろ(笑)

 

 

ところで私の場合、実は結婚するにあたって、相手の親御さんからの条件がありました。

私が就職に踏み切ったのも、髪色を戻したのも、すべてこれがきっかけです。

 

「娘があなたのことを気に入っているのは分かってます。ただ、私は、音楽で食べていこうとする考えのあなたには娘を渡せません。娘といっしょになるなら、音楽を断ちなさい。

 

こうして私は、あれだけかぶれていた音楽を捨て、〝娘〟を選んだわけです。

もちろん私にとっては簡単な選択ではありませんでしたが…。

 

音楽をやるな!!…ということではないと思います。とにかく真面目に働き、音楽はあくまで時間が空いたときの趣味として…という意味だったのでしょう。

 

しかし何においても〝中途半端〟ってのが大嫌いな私のことです。

結婚生活が始まって、完全に仕事人間になり、休日も決してギターに触れようとしませんでした。それどころか、ギターの弦をすべて抜いてしまっていたのです。

元はと言えば、音楽がきっかけで結婚に至った仲です。

妻は言いました。

「ギター、もうしないの?」

「せーへんよ。」

「なんで? いや、別にギター弾くくらいええんちゃうん? すればいいのに…」

 

ダメなんです!! タバコとかといっしょで、あれだけ音楽まみれだった生活を経験していた自分のことですから、1分でも弾いてしまうと、もうやめられない、とまらない。

 

 

しかし… 結婚から5年後…。

 

私の場合、自分自身を表現するには、やはり音楽が必要なんだと、そう感じさせられる場面に遭遇します。

 

※プライバシーなどの問題で、あまり細かくは書きにくいですが、このブログのシリーズを進めるには、どうしても必要となる(…というか最重要)部分なので、分かりやすく書きます。

 

 

私がその「人のために曲を作らなきゃ!!」と思わざるを得ない出来事。

それは5年間の間に2度経験した流産でした。

こういうことを繰り返すと、私ももちろんですが、やはり当の本人は耐えられないようなつらさや屈辱を味わうことになると思います。

こういうときに限って、励ましの言葉が返って鬱陶しく感じたり、我が子と遊ぶ幸せそうな家族がやたら目について、自暴自棄になってしまいがち。心理として当然のことでしょう。

 

「また次のチャンスを待てばええやん!」って私が発言しても、おそらく無責任な発言としてしか捉えられないことでしょう。そういうわけで私は5年ぶりに、眠っていたギターに弦を張り、楽器を持てないふにゃふにゃな指先に再生されてしまっていたその手をいじめ抜き、コードをとり、会うことのできなかった赤ん坊を、自分たちを最大限成長させてくれるために一時的に舞い降りた天使と表現した楽曲『天使はおしえてくれたんだから』(2006アルバム〝レーズン☆バンズ〟に収録)を作ります。

 

きっといつかチャンスは来るはず。結婚生活はまだまだこれから。まだまだ自分たちふたりは、人の親になれる器がないってことかもね… これは歌詞ではありませんが、そういう想いがこもった曲です。

 

 

 

それでもね…(笑) やはり自暴自棄には勝てないんですよ。

ここは自分が耐えて、クッションにならなければ。

 

 

 

そんな折、思いもしなかった不運が訪れます。

 

「たまには気晴らしに、お友だちと食事でも行っておいでーな」

私から、がんばる妻へのひとつの提案。

久々に見た妻の笑顔。会社帰りに夕食へ行くとの事。

 

その日の私は夜勤。

妻はニコニコでひとまず会社へ、私は夕方までひと眠りし、なんとなくほっとした気分で会社へ向かいます。

 

 

「今日は奥さんは?」

「いやー、結婚してからずっと会ってなかった友だちと嬉しそうにごはん食べに行ってるわ(^^) たまには息抜きさせたらんとストレスたまるやろしな(笑) うち自体も夜勤と日勤ですれ違いばっかりやし。」

 

 

その日のノルマである食品製造作業を終え、そんな他愛もない会話を同僚と交わしながら、工場の片付け作業に入った時のこと。

 

共に作業をしていた相手が、ふいに気を抜いた瞬間…! 500kgの機械が転倒…。

 

向かい側にいた私ひとりがその転倒に巻き込まれ、咄嗟に避けたものの、突起物で右目を強打します。

 

何が起こったのか、頭が混乱したまま倒れ込んでいる私。

 

〝えらいこっちゃーー!!!!!〟 誰かの叫び声。

 

周囲は騒然となり、集まってきた一同が私を抱きかかえ、控室に運びます。移動の途中、一瞬手洗い場の鏡に映った私の顔は、右半分が血みどろになっていました。

右目が開かない……

 

 

 

その後、周囲の仲間の素早い対応のおかげですぐさま救急搬送。

まぶたを数十針縫合。

幸い目はつぶれていなかったものの、目の周りの骨が砕け散っていました。

 

 

 

「…ほら!私がたまに遊びに行ったらこんなことになるねん!! だから息抜きとかするのイヤやねん!! もう一生息抜きなんてできへん!!」

 

妻の気持ちの荒れは、こんな状況でも続いていました。

 

右目が消え、痩せこけ、フランケンシュタインのようになってしまった私の姿。

 

私はそれまで責任感を持って真面目に働いていたせいか(自分で言うなよ(笑))、職場の上司からもそれなりに信頼していただいてました。大きな戦力のひとつとなっていたため、傷が癒えたらとにかく早く職場に戻り、副主任として指揮をとってほしいと懇願されました。

信頼されることを誇りに思い、私はとにかく耐えがんばりました。笑顔は絶やさないように。幸い、昔から外傷には強い精神力を持った私のことです(胃腸の不具合にはすこぶる弱い(笑))。

骨の移植手術を終えたら、早々に復帰して「おまえ、やっぱりすごいな!!」と言われるくらい強靭なところを見せ付けてやろう! そう思い、何事にも前向きに考えがんばりました。

 

 

しかし… 妻の状況は変わらない。

 

私はひとつの決意を固めていました。

 

幸い、ふたりには子どももいません。

 

『僕はブサイクな顔面がさらにブサイクになり、きみに息抜きの時間ひとつも与えてあげることができないダメ夫です。きみも今のまま、幼稚園児のような態度をとり続けていると、いろいろ損をすると思うよ。人が心配してかけてくれる言葉は素直にありがとうと受け取ろうね。こんなことを書いたら、なおさら僕は嫌われるだろうね。でも、もうそれもしょうがないと思ってます。今ならきみも人生をやり直せます。僕が存在することで、きみの人生を台無しにしたくない。本当に今までありがとう。最高に楽しい5年間でした。僕の存在がきみの記憶から消えることを神様に祈りながら、僕もこれからそれなりに生きていきます。どうか素敵な人生を歩んでくださいね。』

 

 

手術のための入院に向かう日の朝、そんな手紙をこそっと家のドアポストに差し込みました。病院から夕方帰宅した妻がそれを読み、ハラワタ煮えくりかえっている姿を想像しながら…。

 

 

これでもう、お見舞いにも来ないはず。

 

 

「はーーーーー!! 終わったーーーー!! 終わり、終わり!! もう気遣うの疲れたし!」

 

自分はこのあと「すみませーーん、やっぱりいろいろ無理でしたぁ~(笑)」って、アホみたいな顔して親もとに戻るんだろうなーーって。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

翌日の朝、手術前日、病室。

寝ぼけまなこの私のそばに、人影を感じました。

見たことないようなスキーーーーーーっとした表情をした妻が立っていました。

何もなかったかのようにいつも通りのやりとりをし、「じゃあ、明日、手術がんばってね! また来るね!」

 

 

……あれっっ?? ポストに入れた手紙…気付かんかったんかな??

 

 

 

 

妻が帰ったあと、そばのテーブルに一通の手紙が置いてありました。めったに手紙の返事を書かない妻からでした。

 

『本当はわざわざリスクを抱える手術なんてしてもらわなくて良かった。でも、あなたが気持ちの悪い顔のままで私に申し訳ないからと、無理して選んでくれた手術という道です。今は心から成功を祈ってます。そして、あなたが言うように、とてもワガママになってしまっている自分、私自身イヤな性格になってるな、みんなに迷惑かけてるなってことちゃんと気付いてました。あなたがそれでも文句も言わず受け止めてくれるから、私自身そんなあなたに甘えてしまっていました。正直に本当の気持ち教えてくれてありがとう。とても心がスッキリしました。これからもこんな私でよければ、ずっとそばにいてください。』

 

3枚にわたる長文でした。

 

そして、おなかには3人目の赤ちゃんがいることも。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

私の手術は思ったより早く終わり、術後の経過も順調でした。

「オモユが恐怖(+o+)」とか「全身麻酔で落ちる瞬間が気持ち良かったから、たまに全身麻酔だけ受けたいわ(*^_^*)」とか、アホみたいなこと言えるくらい気分はラクでした。

会社の要望で、術後わずか2か月で強制的に復帰させられたものの、激しいことをしない限り、特に支障もなく働けました。

 

 

心を強く持ってバリバリ働く父、素直に明るく生きようとがんばる母。

これなら大丈夫!!って思ったのか、おなかの子も今度は順調にスクスク育っています。

 

残念ながら、右目の陥没のせいで、なかなか違和感の抜けない顔立ちでフランケンな雰囲気は残っていたので、街を歩くと結構避けられ、コンビニ定員も話すときに目があったら、焦ったように目をそむけられたり、目つきもかなり悪くなっていますので、集団のやんちゃそうな高校生らしき男子たちですら、気持ち悪そうにして逃げるように散っていくという、そういった不本意な状況は続いておりましたが…。

 

家族や会社の人たちは普通に接してくれたので、まぁなんとか割り切って日常を歩むことができました。

たまに精神状態が不安定になるのも、斜視になって焦点が合いにくくなったため、ただ瞬間的に自律神経が乱れてるだけだろうと。

 

 

順調な再スタート!!

 

 

 

……ところが、復帰後3ヶ月くらい経過したころから、私の心の歯車が噛み合わない日が増えはじめました。

 

 

20066月、出勤を控えた朝、目覚めたら吐き気が止まらない。

胃腸風邪かな? 食べ過ぎたかな? …そんな感じで胃薬でごまかし出勤をしておりましたが、それからも毎朝毎朝、起きると同じ症状が出るようになります。

やがて玄関に立つと尋常じゃない動悸が起こるようになり、靴を履くと、もう立っていられないほど何もかもが不安になる。そうして会社を休みがちになります。

 

 

何でかまったく分かりません。何が不安なのかまったく分かりません。

突然のことなのです。

 

休日になっても、もう玄関から一歩も出れません。

毎晩のように製造現場が夢に出てきます。そのたびに強烈な吐き気と共に目が覚めます。

 

つい最近まで、何事もなく現場に立っていたのに……。

 

やがて… 外出どころではなくなり、家にいても常に体にチカラが入りっぱなしで、落ち着かない。ごはんもノドを通らず、危うく40kgを切りかけるところまで痩せこけました。

 

妻はもうすぐ産休に入ります。もうおなかはパンパンです。それでもゆっさゆっさ、毎日毎日、会社勤めをしてくれます。

 

これ、自分このまま死んでしまうんやろか? 赤ちゃんが生まれてくるまでに復活できるんやろか?

 

焦れば焦るほど、ワケの分からない不安症状が悪化していくのです。

 

 

 

 

ここからが、私のこれまでの人生における最大の試練、そして最大の転機となっていきます。

 

 

 

つづく


左からがほんまの僕

闘い

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