店主が〝もやし〟になるまで(その1)

私は15才の頃、父親の仕事を夏休み中に手伝い、そのアルバイト代全額で、自分専用のアコースティックギターを購入しました。

…って、いきなり夏休みの下手な作文みたいな出だしになってしまった(^_^;)


みんなにすごく笑われるのですが、実は私がアコースティックギターを買おうと決めたきっかけは『たま』というアコースティックユニットと出会ってからのこと。

バンドで成功して、テレビに出て有名になるギタリストはエレキギターが当たり前!…と思っていた時に出会ったアコースティックユニット"たま"は、あまりに衝撃的でした。


アコギ……なんて弦が硬いんだ( ̄0 ̄;  こんなんよくサラサラ弾くなぁー、あのオカッパ頭のギタリストは変態か!!

そう感じてしまうくらい、すごい奏者だと思っていました。


歌は偏屈です。でも彼らの存在のおかげで、いろいろ可能性が広がり、ギターコードもあっさり覚えることができました。

そして、フィーリングで歌が作れることにも気付きます。


形にとらわれなくてええんや! とりあえず好きな言葉並べて、メロディつけて、それに合うコードはめれば、弾き語りできるやん!


あとはそれを人に公表できる勇気があるかないかだけの問題。


日常生活の中でさりげなく鼻歌、これで誰でも作曲できてる。

先述したように、あとはそれを発表できる勇気があるかどうか。


そこに気付いてから、私は作曲家を目指すようになりました。

思いついたらとにかくハマるのが自分の習性。

それからは一心不乱に作りまくる作りまくる(笑)

まぁ、それを歌えるのは、当時棒読みボーカルの私自身のみですが……


人のカバーではない快感に毎日酔いしれます。




やがて、父親が昔よく聞いていた洋楽を思い出します。それが何だったかは父親に聞けば簡単に答えが出るものの、親とプライベートな会話を成立させるのがうざったい年頃。レンタルCD屋さんに行き、片っ端からそれっぽい年代のCD を借りまくります。

しかし、なかなか記憶してる洋楽に再会できない……(  TДT)



やがて結構な月日が経ち、「あかん……分からん……誰の歌やろ……もう、今日借りたのん違うかったら、しょうがないけどお小遣いないから親に聞こう(-.-)」



できあがったドラマのようなお話ですが、その最後の賭けに出たCD こそ、まさに記憶どおりのブツだったのです!


『サイモン&ガーファンクル』




もちろん、英語力のない私に英語の曲は書けません。この独特の繊細な旋律をなぞるように、真似事的な新しい曲作りに励みます。

しかし……何故かできあがる曲は、バービーボーイズとかレベッカみたいな完成しつくしたようなものばかり(笑)

まぁ、当時はそれも好きだったので……なんかカッコつけることばかり考えてしまってたのかな? ステージで歌ってる自分ばかりを思い浮かべてしまいます。


まぁ、そんなこんなしてるうちにオリジナル曲は100曲超え。

※ちなみにこの頃作った楽曲はあまりにカッコつけすぎのため、永久的に封印することに決定。自分のみの宝としています。



そのうち、孤独にアコギで作曲というスタイルに飽きます。



大学に入り、バンド活動の楽しさを知ります。

えぇ、結局格好だけの問題でエレキギターに転向。

そのエレキギターを初めて手に取ったときの、なんとも言えない感情!

「なんじゃこりゃーー、チューニング合ってるのに、弦がフニャフニャやん! えぇぇ!! エフェクターでめっちゃ音作れるやん! ディストーションとか入れたら、いきなりギタリストの音するやん!! そーか! テレビに出てるギタリストがグイングイン音揺らしてるの、こんな弦が柔らかかったからか!!」


おもちゃのような感覚を知ってしまった私は、決して技術を極めたわけではありませんが、急激にエレキギターのつまらなさに飽きてしまいます。

※いえいえ、決してバカにしてるわけではなく、あくまでも極めるところまで気持ちが高ぶらなかった素人の戯言ですので、エレキギター好きの方は気を悪くなさらないでくださいね!




結局アコースティックギターがしっくりくると分かったある日のこと。

私はテレビに突然現れた、ある女性タレントに奇妙な感情を抱きます。

なんやろ? よく分からない感情。熱烈なファンになる予感もなく、単純にタイプだったわけでもなく、なのに無性に何らかの接点を持ちたい。自分の存在をとにかく知ってもらいたい。

会いたい……どうしたらいい? ……そーや!! この子に楽曲を提供すればいい! とにかく会わなけりゃ!!



ここからです。

私が音楽業界に携わり、一生生きていきたいと思い始めたのは。


15才の頃、単純にミュージシャンになって、テレビに出たい!と淡い夢を抱きます。でも、この特定の人に楽曲提供をしたいという夢を持ってから、自分がテレビに映るのはどうでもいい、とにかく会いたいんや!と、異常なまで作曲活動に励むようになります。


まずはどんな形でも良い。

大学内で同じくプロミュージシャンを目指すシンガーソングライターと出会います。彼はハンサムだし、エレキギターうまいし、曲は同じく作れるし、しかも歌自体めちゃめちゃうまい。自分は容姿も悪いし、歌は棒読みやし、でもアコースティックギターは弾けて、作曲もできるし、何せ特定の夢もある!! 楽曲提供する相手も決まっている!!(笑)(笑)



まさかのことですが、そんな折、一緒にバンドやろう!と誘ってきたのは、そのハンサムな彼からでした。

……で、すぐにオリジナル曲を作り、バンド活動開始!

しかし、エレキにかぶれている彼は、ある日「使ってみたいねん」と練習にアコースティックギターを持って来た私に対してあっさり一言。

「えー、アコギとかあり得んし。しかもカポタストとか使うの? バンドでカポタストなんて邪道」


カポタストが邪道と言われ、思わず、「いやいや、エフェクターで音の輪郭ぼやかしてる方がよっぽど低レベルやろ(笑)」と思わず言い返し………そうになりますが、ここは夢のために我慢!

そっとアコースティックギターを置きました。


夢へのきっかけを掴むために彼を陰で利用する方向に気持ちが切り替わり、とりあえず彼天下でじっと我慢の子を貫くことを決意。




「じゃあ、次の練習は年明けに、このスタジオで! おつかれ!!」





そして迎えた1995年1月。

練習日の直前に阪神淡路大震災。

電気ガス水道を断たれ、スタジオに向かう道路すら途中で途切れる有り様。夢がどうこう言う以前に、バラバラに住むバンドメンバーと合うことすらできなくなります。


一日を過ごすのがやっと……… 悪夢のような日々が始まり、バンドの解散はもちろん、夢への道を閉ざされた私は、父親の復旧ボランティアに近い仕事に追われる中、仕事が終われば部屋に引き込もって気が狂ったように、道を断たれた夢のあの子への悔しい想いを、ひたすらノートに書きなぐる毎日を過ごすようになります。



つづく




もうひとつのことしか見えない作曲 


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