店主が〝もやし〟になるまで(その3)

万人にウケるミュージシャンになる。

まず引っ掛かるには強烈な個性が必要となります。

『カネ』『コネ』…基本的にこういった業界で、最もデビューへの融通が効くアイテム。

私の場合、そのふたつのワードは持ち合わせていません。

 

アルバム『ひとりごと』は、いくつか受けたオーディションでも、かなりの個性を評価していただきました。曲調・アレンジ力・雰囲気のあるヴォーカルやギターの音色。しかし残念なのは、家にこもってヤケクソ作曲活動をしているひらやましんじ、アルバムの中のひらやましんじ… ここしか目を惹くものはなかったわけです。

 

「夢へ近づくかも!!」と、そんな勝手なストーリーを引っさげて、いざレコード会社の関係者の目前に立っている生身のひらやましんじは…ただの音楽好きな男の子。

そんな人間は溢れるほど存在するわけです。

確かに中にはマニアックな程、私の寂しそうで初々しい風貌を気に入ってくださる関係者の方もおられました。「なんとかしてやりたいなぁ~この子」と、親身になってくださるのです。

いろいろオーディションも手配していただき、どれも1次審査、2次審査は通過します。いわゆる紹介による〝コネ〟っていうのが働いていたのかもしれませんが…。

しかし、どうしても最終審査が通過できません。そして自分自身も、何故か最終審査ではブレーキをかけてしまう部分がありました。

 

「ちょっと待って…… 僕はミュージシャンとして、自分がステージに立ちたいなんて思ってたっけ??… 芸能界を目指してたっけ??…」

 

そんなわけで、最終審査はどうしてもある一線から〝おもいきり〟が出ません。

まぁ、もちろん、インパクトと実力の無さが、不合格の一番の原因でしょうけどね(笑)

 

 

やがてレコード会社とのコンタクトは徐々に薄れていきます。

「こういう感じの作れない??」「ここはこういう歌詞にした方が売れるよ!」

関係者のアドバイスが、私にとってはただ求める商材への注文と感じ、次第に自分が作りたい曲と遠ざかっていきました。

 

音楽を仕事にするのは、向いていないのかな……

才能? 営業? …商業化していく自分の楽曲制作がつまらなくなり、ギターを握るのも億劫になってきます。

結局、何なんやろ? 何のために何をどうしようとしているんやろか?

 

何もかもワケが分からなくなり、レコード会社とのコンタクトを断ち、結局は元のさやに戻ることになりました。

でもね…… やっぱり悔しいものです。

せっかく東京まで行ったのに… レコード会社と関わることができたのに… 

 

このマイナスイメージ… そうしてまた震災の時のように思いつめた曲を作り始めます。でも何かが違う… 

メロディがPOPになっています(笑) 個性なくなっちゃったね(笑)

いいや、自己満足のためにアルバムを作り続けよう(^_^)/

 

 

 

中途半端な開き直りモードに入りかけた翌1996年。

 

父親が倒れます…。慢性硬膜下血腫。

 

震災に続き、また足止め。

私は、父親の目途が立たない復帰を望みながら、やむを得ず電気工事の穴埋めをすることになります。お客様がいるし、お店を閉めるわけにはいかない。やりっぱなしの仕事もあるし…。

 

毎日、毎日、休みもなく、母親とふたりでお店を守ることになりました。

母親は事あるごとに泣き、私は耐えねばならない。

その繰り返し。

父親が倒れているというのに、私の妹なんて大好きな自然に触れるため、北の大地に行って、都合良い時にしか戻ってもきませんし…(~_~;) 

昔から、自分の生きたいように生きている妹は、兄である私からして、ずっと羨ましく、ずっと憎らしく、良い思い出なんてこれっぽっちもありません。

要領だけで生きていける人間には、殺意さえおぼえるくらいでした。

 

 

毎日、頭にチューブを差し込まれて、ろれつが回らず意味不明な言語を発する父親を見舞い、やったことのない工事を段取りしたり、ストレスしかない日々。

帰宅して、私の目の前にあるのは、真っ黒になった歌詞ノート…ではなく、電気屋さんの帳簿でした。

 

このまま、この運命をたどっていくのかな……

 

 

1996年、『うしろまえ』という頭の栓が飛んでしまったようなアルバム制作を最後に、私は一旦ギターを置きます。

 

 

 電気三昧

つづく

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